みなさんこんにちは。
携帯電話を機種変し、憧れの空港でバイトし始め、やや浮かれ気味の中の人です。
さて、今回も引き続き「哲学」。
先日のゼミは教育開発支援機構より須長先生がお越しになり、「哲学」についての特別授業をして頂いた。
まず哲学って?
自分なりにざっくりと。
一般の学問 "問い→答え"
哲学 "答え→問い"
哲学がほかの学問と比べて大きく異なるポイント。今、常識とされているもの、答えとされているものに問いを立てること。それが哲学。
身についてしまった知識は忘れられない
知識はすごく便利であるが弊害もある。それは知識をみにつけてしまうことである種のモノの考え方を弾いてしまうことである。
新しい考え方が出来なくなってしまう。
だからこそ「問いを立てる」ことが大切。
問いを立てるのが上手い人=思考力がある人
哲学対話
- 自分の言葉でゆっくり話す
- 相手の言葉には真理がある、という姿勢で最後までゆっくり聞く
- 「もう一度お願いします」いつでも誰でもOK
- 「相手にわかってもらうこと」よりも、「相手の言葉によって揺さぶられる」を
- 結論を急がない
以上の点を踏まえながら、ゼミのみんなとLet's discussion (太字は普段自分ができてないことだと思ったのでそこはかなり意識しました)
テーマは「利己主義と利他主義」
中の人的意見はこちらから
中の人たちのグループは全員利己主義肯定派。しかし、
- すんなり共感派
- 全部が全部利己主義を認めるのは出来ない派(道徳的、倫理的な問題から)
に分かれた。
利己主義はwin-win?問題。
- 利己主義はお互いが利すればOKなので結果win-winになるのでは?
- ただ、集団において、一部の仲間内では満足し合っていても、 その満足が他の人を傷付けたり、被害を被ることもある。
利己主義って最終的には自己満足なのでは?
例えば、
募金をした自分に酔う。「自分偉いわ〜。」
利己主義においての募金という行動は全くして自分には何も得はないけれど、良い行動をしたという自分に満足している、つまりこれも一種の利己主義だよね。みたいな。
利己主義への懸念
この主義が及ぼす懸念として、自分さえよければ良いという利己主義は、人間関係に大きな影を落とすことになる。つまり人間関係も今現在の世の中と比べてかなり淡白なものへと変化するのでは?
利己主義と利他主義の関係性
人間の行動は利己主義、利他主義と完全に分けてしまうのは道徳的、倫理的な面や、時と場合の面を考慮すると一概にはハッキリこうだとは言えなくなる。
つまり利己主義と利他主義は表裏一体で人間の良い行動というのには2パターンに分かれるのでは?
利他主義の中の利己主義
他の人のためにした行動。しかしその行動は結果的に利己主義とも取れる行動だった。
利己主義の中の利己主義
自分のために動いた結果、それが利他主義とも取れる行動になった。
哲学対話を終えての感想
楽しかった。本当に様々な意見が出た。他の人の意見もすごく納得が行くものが多かった。こうやって自分の価値観を揺さぶられることが問いを立てる行為に繋がることを肌で体感できたような気がする。
冒頭で意識したことも自分なりに出来た。
今後のゼミはもちろん人生においても、今日の時間で学んだことを活かしたい。
常にアンテナ張ってなきゃね
平成超えて令和越しの更新になってしまった中の人でした。