みなさんこんにちは。
湿気は嫌だ。中の人です。
さて今回は「文学」です。
文学とは?
印象的だったのは、「文学って幅広いんだ」ということ。
文学
言語によって人間の外界及び内界を表現する芸術作品。詩歌・小説・物語・戯曲・評論・随筆などからなる。文芸。
(広辞苑より 一部抜粋)
今まで小説=文学だった自分にとっては新鮮だった。やったね、視野広くなった。
Negative Capability
ネガティブ・ケイパビリティ(英語: Negative capability)は詩人ジョン・キーツが 不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。日本語訳は定まっておらず…(Wikipedia ネガティブ・ケイパビリティより 一部抜粋)
つまり「答えが出ない・分からない状態」をあえて放置する姿勢とのことである。
この考え方によると、他者の意見を受け入れやすくなると言う。
哲学編の「答えを出さないことは危険」とは食い違う考え方である。
しかしながら哲学編の「答えがない」という答えに固執しすぎるのが危険という解釈でいくと、このNegative Capabilityが補完してくれている。
答えはない。でも「ない!」じゃなくて、答えがない中でも、様々な考え方に触れた上で答えを探す姿勢を崩さないことを言いたいのでは?
と勝手に解釈しております。
小説「フランケンシュタイン」を読んでみて
↑ゼミ生が挙げた小説「フランケンシュタイン」を読んでみて浮かんだ感想
課題その1でした。読み応えあった…。
読んでみて、面白かった
…けどこんなにスッキリしないお話はねぇ…
過去にもとあるを映画を見てスッキリしないことがあったが、共通点があった。
2つともイギリスで創られた作品なのである。
なんだかデ○ズニーみたいにハッピーエンドにいかないのがなんかイギリスらしいというか…
ハッピーエンドがだーいすきな中の人にはなかなか重い内容ではあった。
誰も幸せになってないもん
あと、怪物くんみたいに「ンガー」とは言わないのね
課題
①「人間(クローン人間)を作り出すことの是非」
反対。
ドラえもんのお話でこんなものがある。
「クローンリキッドごくう」
このビンに入っている液体を頭にふりかけ、かみの毛を1本抜いてフッと息を吹きかけたところ、なんとのび太の分身が出現したからビックリ! このクローンリキッドをかけたかみの毛は、すべてその人の分身になる。
いつものようにジャイアンに新しいマンガを取られてしまったのび太が自分のクローンを使って取り返そうとするお話。
けれども、本人同様、クローンたちもジャイアンをビビってしまい、上手くいかない。
そして健闘むなしくジャイアンに道具まで取られてしまう。しかしジャイアンが使ったところ、クローン達も「お前の物は俺のもの」精神を余すところなく受け継いでいたため、街で大騒ぎを起こすことに…。
結局、クローンを上手く使えなかったのだ。
他にもドラえもんの道具にはクローンを創りだすひみつ道具がたくさんある。(ドラえもんで論文書いてみようかな面白い)
しかしこれらの共通点は「全て上手くいっていない」ということ。
同じ人間が2人もいたら何かとトラブルの元にもなる。
もしオリジナルとクローンとの間に主従関係が出来ていたとして、それが破綻したら?
お互いを憎むようになってしまったら?
(ここら辺確か昔の「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」でなんかやってなかったかな?)
未来ではクローンを作り出すとクローンへの養育費など、ありとあらゆる責任はクローンを作った本人にかかるという。そのため、未来ではあまり作る人はいないらしい。
現代の倫理観ではここまでのレベルまで来ているだろうか?
②自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるか
自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり…
(Wikipedia 自己肯定感より 一部抜粋)
何かをやり遂げた、認めてもらえた、納得いくまでやれた。そういった経験を踏まえた時に自己肯定感はやってくるのかなーと。
怪物も自己肯定感さえ持ってくれれば…こんな悲惨なことにはならなかったのかもしれない。
もちろんそういった経験がないとそういう気持ちは湧いてこないのだろうけど、例えばの話。フランケンシュタインの怪物で言えば創造主であるヴィクターが、兄弟であれば家族が、友人や恋人であれば自分が。自己肯定感を高めてあげる手助けができることもある。
「キミって、すごいんだぜ!」みたいな。
環境も大事だと思う。認めてくれる環境。褒めてくれる環境。大事。
なんか自分にも言われている気が…。笑
今回はここまで!
……To be continued